臨床研修修了後、美容外科の道へ
小児科医の父をもつ奥村智子さんが医学部に進んだ理由は、「美容外科医になりたかったから」。
美容が好きでオペが好きな奥村さんは、人を美しくする仕事である美容外科医を目指した。
2009年に臨床研修を修了した後、都内の美容外科に就職する。
希望通りの進路ではあったが、同級生のほとんどが後期研修課程に進み、認定医を目指す中で異色の選択だった。
「学生の頃から美容外科を志望していたので、研修医2年目のときから医局見学と平行して美容外科クリニックへの就職活動をおこなっていました。当時は今以上に、いきなり美容外科の道に進むことは否定的な風潮がありましたね」
大学病院の形成外科や皮膚科の医局も選択肢にあったが、美容のエッセンスが入れにくい点に不満があった。保険診療をおこなう医師は、保険に縛られてしまう。傷や病を治すことはできても、より美しく、理想の自分を目指す人を助けることは難しかった。
「患者さんは自費で高額な手術費用を支払われますし、理想を持って来院されるのでプレッシャーはあります。そのぶん、患者さんに感謝される仕事です。喜ぶ姿を見ることがとても嬉しくやりがいを感じます」
医師の働き方を見るほど近い将来に待つ、結婚・出産というライフイベントとの兼ね合いに難しさも感じた。
若手医師の生活はハードだ。2年間の研修医生活を終えた後も、一人前と言われる専門医を取るまでに順当に行っても5年かかる。そのときには30歳間近。
奥村さんが志望した外科系の科目は男社会である。朝6時から深夜まで働くのは当たり前。当直もある。自身のハードワークはもちろん、ギリギリの人員の中で妊娠・出産となったときに周囲への負担も気がかりだった。
「30歳で結婚して、32歳で第一子を産むという目標がありました。医師としての夢とキャリア、個人としての幸せを両立できる美容外科医を選択しました。仕事はとてもやりがいがあって楽しいです。美容外科医として成長するのは、他の科目と変わりません。まずは初歩的な仕事から学び、経験を積みながら徐々に高度な手術も担当できるようステップアップできます。ただ、手取り足取り教えてもらえるわけではないので休日出勤をして他の医師の手術を見学したり、常に自己研鑽を心がけてきました」
美容外科医は技術とセルフプロモーションが不可欠
奥村さんが美容外科医になった10年前は、美容外科の女医のロールモデルが少なかった。
「当時から、美容外科医は宣伝のため自分の技術や人柄を発信することは重要でした。アメーバブログが全盛期だったので、仕事の合間を縫って1日3記事以上アップすることもありましたね」
地道な発信が奥村さんの人気につながっている。
現在もTwitter、インスタグラム、tiktokも使いこなす。SNSによって、ユーザーの年齢層や特色が異なる。幅広い層にアプローチするには、取れるあらゆる接点をもつ必要がある。正しい情報を発信するために、広告ガイドラインの把握も必須だ。
奥村さんは、症例写真だけでなく、人間性やライフスタイルが垣間見える投稿を重ねる。奥村智子個人のファンができることで、来院する時点で手術をやる気になっているのだ。
「投稿内容やメディアは工夫しますが、一番大切なものは技術です。技術を磨いた上で、患者さんに関心を持ってもらうために私自身のことを発信します」